プリオンによる疾患:
大事に至る前に研究を開始

Human Frontierは1993年以来、プリオンに関する国際的研究を支援している。プリオンとは、クロイツフェルト-ヤコブ病や「狂牛病」の原因となる謎の感染タンパクである。プリオンの発見者であるStanley Prusiner(アメリカ)の音頭の下で、この分野で最高の精鋭がこのプロジェクトに結集した。

ヨーロッパでの報道をみる限り、1996年はまさしくプリオンの年であった。狂牛病(牛海綿状脳症、BSE)は10年前にすでに知られていたが、数々の新しい事実が発見され、世界を震撼させることになった。最初に取り上げられたのは、イギリス政府も認める通り、狂牛病がヒトでの新しい形態のクロイツフェルト-ヤコブ病と関連があるという可能性である。これにかかると、脳が次第に変性して死に至る。その後、感染伝播に関してさらに詳しい事実が明らかになった。ほかにもプリオンに神経を冒されるスクレイピーという疾患があり、これにかかったヒツジの生肉からつくった飼料をウシが食べると狂牛病になる。このことは数年前からわかっていたが、突如、ヒツジも狂牛病のウシの脳を食べれば感染する可能性も否定できないことが明らかにされた。さらに、狂牛病は時に母ウシから仔ウシに感染する可能性があると考えられるようになった。

転換・科学研究の結果、ブタをはじめとするほかの種類の動物にも感染する可能性が示唆されており、上の事実と併せて考えると、この問題を早急に解決する手だてはないように思われる。さらに問題を複雑にしているのは、ウシのタンパクが食品、化粧品、一部の医薬品に広く使用されていることである。
狂牛病にまつわる経済的政治的な利害関係のために、この問題をめぐって見解が分かれることはあるが、その核心にあるのは、科学的にPrP(プリオンタンパク)として知られるプリオンである。健康なヒト(やほかのほ乳類)の脳には、何十億という正常なPrPが存在する。プリオン病は、この同じタンパクがスクレイピーPrPに形を変えたものによって引き起こされる。このスクレイピーPrPは感染性があるだけでなく、連鎖反応によって正常なPrPを感染性のあるスクレイピーPrPに変換する。

先駆的研究・正常なPrPの構造は正確にわかっておらず、健康なヒトの脳でどのような機能を持つかも精確にわかっていない。しかも、正常なPrPがどのように病原性のPrPに転換するかについてはある程度の推測ができるものの、プリオン病に典型的にみられる脳の空洞がどのようにしてできるのかはわかっていない。
幸い、この問題をマスコミが取り上げる前に研究が始まった。アメリカの科学者Stanley Prusinerは1980年に早くも、スクレイピーやクロイツフェルト-ヤコブ病のように脳が冒される謎の病気の原因は、タンパク以外の何物でもないという結論に達した。今でこそ少なくなったが、当時、この大胆な仮説には多くの反論があった。感染の原因となるものであれば増殖する必要があり、そのためには、DNAまたはRNAが必要であろういうものであった。
Prusinerらは次に、DNAやRNAを全く含まない純粋な細胞抽出物によって、罹患したハムスターから健康なハムスターにスクレイピー様脳疾患が伝播することを示した。
これによって、「プリオン」という概念は受けいられるようになった。その後、これに関与しているのがただ一種のタンパクであることが明らかにされた。「そこで私は、ウイルス、細菌、真菌をはじめとする病原体と区別するために、タンパク様感染粒子という意味でプリオンと命名しました」とPrusinerは当時を振り返る。
Prusinerのほか、Charles Wiessmann(インタビュー)が率いるグループがその後実験を繰り返し、数種類の動物でPrP遺伝子の配列を明らかにしようとした。その結果、ウシのPrPとヒツジのPrPとを比較することが可能となり、(タンパクを構成している)計264個のアミノ酸のうち、わずか7個が異なるにすぎないことがわかった。
また、人間には安心材料になると思われるが、ヒトではウシのPrPと異なるアミノ酸が30個は下らないことがわかっている。それでも、Prusinerは次のように警告している。「重要な領域でウシPrPのある部分がヒトPrPと同じ配列にそっくり変わってしまうかもしれません。そうなれば、全アミノ酸配列の単純比較から考えられるよりも、危険は大きくなります」


上:正常な状態のプリオンタンパク(PrP)、バックボーンが螺旋を巻いている。
下:感染性のある「スクレイピー」形態のPrP.バックボーンが概ね伸びきっている。


学際的プロジェクト・Human Frontierプロジェクトは1993年以来、UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校、アメリカ)から1チーム、ヨーロッパから2チーム、計3チームの力を結集した。遺伝学、生化学、神経科学をひとつにしたまさしく学際的な共同研究であり、この国際協力の音頭取りにはSt anleyPrusiner(UCSF 神経科学科)がまさに適任であった。
UCSFの薬理化学部門では、若い生物学者Fred Cohenが転換前と転換後のプリオンの三次元構造を明らかにする研究に打ち込んでいた。UCSFの病理学部門では、Stephen DeAr mondのチームが健康な動物の脳にあるプリオンの役割を研究していた。チューリヒ大学(スイス)では、Charles Weissmannのチームが遺伝子の問題にさらに焦点をしぼって研究していた。いずれも、脳でプリオンを産生できないというきわめて有用なマウスの系統のマウスを作出していた。ほかにも、脳の画像処理とマッピングを専門としているTo mas Hokfelt(Karolinska Institutet,ストックホルム、スウェーデン)のチームが同じ系統のマウスを観察していた。研究者らは、脳の同じ部分で同じ量の神経伝達物質が産生されるかどうかをみるため、正常なマウスと比較した。
プリオンの研究がどの時点で、狂牛病という新しい疾患を克服する手段になれるかは誰にもわからない。しかし、広く世界中から精鋭を集めて国際協力することが、未だに最善の選択であると思われる。

特にこの図にある哺乳動物が自然発生的または実験的にプリオン病を発症する。

プリオン病
プリオン病にはいくつかのタイプがあるが、どれも脳が変性して死に至る。潜伏期が数年続くものもある。この疾患で死亡したヒトや動物の脳にはあちこちに空洞ができている。これがスポンジに似た外観をしているが、「海綿状脳症」という名の由来となった。
そのなかで最初に取り上げられたのがヒツジのスクレイピーで、250年も前のことである。当時はその原因ははっきりとわからなかった。その後、ヤギ、ミンク、シカ、ヘラジカ、ネコ科の動物などによく似た病気が発見されるようになった。狂牛病(牛海綿状脳症)は1986年、イギリスで初めて確認された。
ヒトである程度具体的に記述された最初のプリオン病は、パプア・ニューギニアの一部の部族を襲ったクール病である。1957年、アメリカとオーストラリアの科学者が、人肉食の儀式で人間の脳を食べたことが原因であることを明らかにした。それ以後、クール病は事実上消滅した。
ほかにきわめて珍しいヒトの病気がふたつ確認されている。ひとつは Gerstmann-Straussler-Scheinker病で、もうひとつは、致命的家族性不眠症である。いずれも一般に遺伝性であり、この家系では、プリオンタンパクをコードする遺伝子が病原性を示すよう変異している。
ヒトで最も拡がっているプリオン病はクロイツフェルト-ヤコブ病(CJD)であり、世界中で感染者は100万人に1人の割合である。1995年、vCJDと省略される変種がイギリスとフランスで発見された。古典型のクロイツフェルト-ヤコブ病が50歳以上になって初めて現れるのに対して、この新型は若年者にもみられる。

クロイツフェルト-ヤコブ病患者の脳組織(300倍に拡大)。空洞(白いスポット)がプリオン病の特徴である。



Charles Weissmann
プリオンに関する質問


Charles Weissmannへのインタビュー。Weissmann氏はチューリヒ大学(スイス)分子生物学の教授であり、European Commissionのプリオン病委員会の委員長でもある。



-プリオン仮説の信憑性は一般にどの程度のものですか。
Charles Weissman教授:今、われわれはこれを「プリオン単独仮説」と呼んでいます。原因となる感染性の粒子が、いかなる形でも核酸と結合していないタンパクであるということです。最初はこの仮説はこっぴどくたたかれましたが、私は今では、研究者の80%がこの説を正しいと考えていると思います。
-これ以外に仮説はないのですか。
反論を唱える者もほとんどはプリオンタンパクの存在は否定していません。ただ、感染を拡げるウイルスが存在するはずだと考えています。問題はこの感染粒子と関連のあるウイルスなど全く見つかっておらず、DNAやRNAなどのようなものは何も見つかっていないということです。
-プリオンの研究はどの分野で最も進んでいますか。
現在のところ、遺伝学が最も強力なアプローチをしています。遺伝学は、1985年に早くもプリオンタンパクをコードする遺伝子を確認しています。この遺伝子がヒトのほか、マウスなどの動物の健康な個体に存在することがわかったのは、そのあとのことです。その後、われわれは遺伝子工学により「プリオンノックアウトマウス」の作成に成功しました。このマウスは通常の非病原性プリオンタンパクを産生することができません。そして、スクレイピーに抵抗性があり、感染原を複製することがありません。
生化学の分野では、正常なプリオンタンパク(PrP)の重要な部分の構造は今や解明されています。正常なPrPと異常なPrPの構造が完全に解明されれば、正常なPrPがどのように病原性のある変種に転換されるかがわかるはずです。
-その転換過程とはどのようにして起こるものなのですか。
これは連鎖反応で、三次元でみたプリオンタンパクの折り畳み方が変化します。タンパク構造の変化と感染疾患との出現との間に、このようなつながりがみられるのは、全く初めてのことです。
-この構造の変化にはどのような意味があるのですか。
発症するのは、感染する前に正常なプリオンタンパクが存在する場合に限られるということを意味します。そう考えれば、プリオン病に罹患しているマウスの病原性プリオンでノックアウトマウスを感染させようとしても、常に失敗する理由が理解できると思います。
-プリオンタンパクのどの部分が最も重要であると思いますか。
一言で言えば、それはまだわかっていません。Human Frontierプロジェクトの一部に特殊班を設け、この問題に取り組んでいる状態です。われわれは今、正常マウスのプリオン遺伝子からさまざまな部分を切り取っている段階です。これに、プリオン病に罹患したマウスの病原性プリオンを接触させ、どの部分を切り取れば感染しやすくなるか、あるいは感染しにくくなるかをみようとしています。われわれはこれまで、PrPの一端にある約60個のアミノ酸が、感染しやすさには関係がないことを明らかにしました。
-プリオンのさまざまな系統についておうかがいしたいのですが。
われわれは、さまざまな系統を確認し、分類したいと思っています。ヒトでもマウスでも系統によって脳の破壊され方が異なるように思えるからです。それが病気の進行に重要であるかどうかはわかりませんが、つきとめたいと思っています。
-ほかに重要なことで解明されていないことはありますか。
はい。残念ながら、健康な動物における正常なプリオンタンパクの機能について、まだよくわかっていません。プリオンタンパク欠損マウスと正常マウスとの間に明らかな差があれば、何か参考になると思うのですが、この場合はだめでした。そこで、われわれのプロジェクトのもうひとつの重要な部分は、ノックアウトマウスにこれまでわれわれが気がつかなかった神経学的に微妙な差があるのかどうかを解明することです。
-プリオンに関する研究が今後どのように発展すると思いますか。
現在進行している状況を正確に把握するには、あと数年はかかるでしょう。そしてたぶん、治療ができるようになるにはさらに長い年月がかかるでしょう。正常なプリオンの構造および機能が正確にわかるようになれば、種々の系統の病原性プリオンに関するわれわれの研究が、異常なタンパクがどのように病気を引き起こすかを理解するのに役立つようになると思います。


(左から)
異種接合PrPノックアウトマウス、同種接合ノックアウトマウス、正常マウス